週7の遅刻生活

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「絶対」は絶対ではない

こんにちは

 

やまさきです

 

今日は個人的な意見をまとめたいと思います。

 

と言いますのも、私の母はよく「絶対に〜」「これ絶対〜だから」と、確証もないものなのに「絶対」という単語を使います。

他にもおそらくみなさんの友人の中にも「絶対」という言葉を頻出ワードにしている人もいるでしょう。

 

私は「絶対」は絶対ではないと思います。

 

どういうことか?具体的なことを言います。

 

一つの例として、ある人が言った「絶対」を紹介しますと、

ある物事を調べている時に、質問で「これについて知ってる?」と聞くと、

「あー、これは絶対にこうだって」という返答がありました。

普通ならばこの会話は成立すると思うのですが、仮に相手がその物事の知識がない場合はどうでしょう。ただの個人の予測がまるでそれが常識だというような視点で言っているように聞こえます。実際に、そういう視点で言っている人に出会ったことがあり、

内心では(その確信はどこから出てくるのか)と思ってしまいました。

 

少し規模を大きくお話しすると、

絶対に弾けないだろうと思われていたバブル時代が崩壊したように、

絶対にこのままの時代が続くと思われていた矢先のペリーの黒船来航だったり、

絶対にヒラリー・クリントンだと思われていたアメリカの選挙がトランプ勝利だったり、

主観でAが絶対と思ってしまうばかりに、Bが起きた時に対応や準備ができなくなる。

Aばかりをみていたばかりに、Bではチャンスがゴロゴロと落ちていた。

Aのマジョリティばかりに耳を傾けていたばかりに、Bのマイノリティの正当性に気づけなかった。

そういった一つの視点で物事を考える人と話をしている時ほど、辛いことはないと感じます。

私もその結局は経験則でしか話すことができないため、ある物事しか考えないのだろうけども、せめてもの多面的に、その他の可能性を予想し、常に「無知の知」を忘れずにしていこうと思います。

 

 

ということで、今回はメモとして書きました。

 

最後までお読み頂きありがとございました。

 

次回もお願いします。

 

やまさき